試行錯誤

仕事や趣味(スマブラ)など

「割と楽しかった」休職について語る

こんにちは、かずかずです。

今回は私の休職期間について、お話しできたらと思います。

特段人様に見せつけるような内容ではないかもしれませんが、休職を考えている方や休職中・復職を考えている方などの参考になりましたら幸いです。

具体的には、休職するためには何をするのか、休職になるとどんな感じのか、休職中何をしてどんな気持ちになったのか、そして復職の流れはどのようなものか、等のお話しできたらと思います。

 

目次

 

自己紹介(参考になれば)

学歴:大卒(4年制・文系)

仕事:大手通信会社の社内システム(主にデータウェアハウス周り)の運用・構築をする部署のSE

休職・退職:8ヶ月(1回目)と2ヶ月(2回目)の計10か月。休職期間満了で退職。

 

休職の経緯

部署に配属された時点で、私はとても強い違和感を感じていました。入社するにあたっての志望動機や、応募した業務内容(勝手に想定していただけかも)などとは、その部署の担当業務は大きく異なっていました*1

配属されて3ヶ月が経とうとしたころから、職場に行くと動悸と軽度の吐き気が出るようになり、仕事の前日の夜は眠れなくなるようになりました。

どうしてもやりがいの見出せない上、その業務のために通勤合わせて1日12時間程使う。その浪費感と倦怠感、それを無理矢理動かなくちゃという気持ちで押し進めた結果、症状として現れだしてしまいました。

またプライベートで、大好きな対戦ゲームの大型大会に人生で初めて出場しました*2。動画でしか見たことのないプロ選手が目の前にいる。大勢の人たちが、自分たちが好きなことを日ごろから磨いて、その場で本気で競い合ってぶつかる。その熱気や情熱に包まれて、とても感動したのを覚えています。しかしながら、同時に普段の自分は毎日何をしているんだろうという、という悲壮感でいっぱいになりました。「熱量」のギャップが大きすぎました。

その次の週から症状が悪化するようになって、会社に行くことができなくなり、休むことが多くなりました。

 

働く人間として責任がある以上、ただ休むのは良くないと思い、悩みましたが最寄りの心療内科へ足を運びました。軽いカウンセリングから始まり、メンタル面のアドバイスを受けました。要約すれば、気持ちを切り替えて、もう一度会社に行ってみてくれとのこと。「一度行けなくなっても、もう一度行ければ行けるもの」なのかもしれません。

しかし、そこから数週間、会社に行けたり行けなくなったりを繰り返し、会社の産業医とも話したり、心療内科にかかったりしましたが、結局自体は好転しませんでした。

休職したら、転職したいとなった時にも不利になってしまうんじゃないか。「少なくとも3年は頑張った方が良い」そんな意見もよく聞く。正直かなり悩んでいました。

 

最終的に心療内科医に診断書を書いてもらう形で、休職期間に突入することになります。*3 ちなみに4千円くらいしました。診断書って結構高いんですね。

 

休職の手続きと休職した直後の雰囲気

診断書をいただいた後、そのことを人事に報告し、必要な手続きについて教えてもらいました。休職申請は診断書などを送付するだけでしたので、そこまで大変ではありませんでした。申請さえしてしまえば、勤怠などは人事の方がやってくれました。また休職中の産業医との定期面談も人事の方と連絡を取り、簡単に予定を組むことができたので割と楽でした。 

休職が始まると、同じ部署の上長や同僚から励ましのメールやチャットが来ました。ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちで複雑でした。それらを返信した以降は基本的に業務用の連絡はチェックしないようにしました。

小学生の時にずる休みをするような、気楽でありつつも軽く罪悪感のあるような、無いような、そんな複雑な気持ちではありましたが、総合的に見て長いお休みが始まるというのは自分にとって気分が良いものでした。

幸い自分は今友達とルームシェアをしている*4ので孤独でしんどくなることはかなり少なかったです。むしろ休職を冗談にして、笑い飛ばすことが多かった気がします。

 

(補1)休職の延長手続き

休職期間を長くとるには、診断書は2ヶ月分(確か最長3カ月のはず)を書いてもらうことが多かったので、休職期間を「更新」するため診断書を書いてもらう必要があります。そのことも頭に入れておく必要はあるかもしれません。

基本的には主治医としっかり相談をしたうえで、忘れずにきっちりやるようにしましょう。万が一、予定が合わず延長の診断書が間に合わないとなった場合は、しっかり人事の方と連絡を取るようにしましょう。

 

(補2)休職中の生活費

休職中はこれまで働いていた貯金と保険会社からもらえる傷病手当で生活していました。特にこの傷病手当がとてもありがたく、もらう予定であった基本給与の6割ほどを給付してくれるもので、軽く貯金ができるレベルで生活ができていました*5

傷病手当の申請には主治医による説明が必要になるのが基本です。自分の場合は毎月の申請書に症状や経過等を書いてもらえるよう、診察のタイミングでお願いし、申請書を渡して、別日に受け取る。そして所定の住所に郵送して、入金を待つというものでした。

一点注意事項があるとすれば、申請してもそのすぐ後に入金されるわけではなく、審査があった上で入金されるので、ある程度の時間がかかります。自分の場合は、2ヶ月近くかかりました。気を付けるようにしましょう。

いずれにしても、現在お勤めの会社の保険の内容をしっかり確認しておくようお勧めいたします。

 

休職中の過ごし方

さて、休職期間に私が何をしていたのか、よく聞かれます。休職中はやりたい「かも」と思ったことをひたすら*6していました。

本は村上春樹の小説をたくさん読みました。サンドウィッチを泥水のようなコーヒーで流し込むように。

ゲームは好きなスマブラをたくさんやったり*7、同居人とテトリスやモンハンにハマったり、FF7もやったりしました。

またやるだけでなくゲームを作ってしまおうと、Unityの勉強に手を出し始めたのもこの頃です。自分でテトリスを作ったり、Roombaになるゲームを作ったり、新しいものだらけでとても勉強していて楽しかったです。*8

料理もやってみたいと、イタリアンの作り方のYouTubeをたくさん見て、毎日パスタを作っていた時期もありました。

散歩や筋トレもやってみました。健康に良いと聞いたので。すぐに飽きてしまいました。

 

今思うと遊んでばかりだなと思いますが、精神面はとても元気になったのを覚えています。

やりたいことが多かったというのもありますが、やはり遊び相手がいたのも救いでした。同居人には感謝しかありません。

 

(補1) やりたいことがない場合

「思い返してみれば」やりたいことが多かった、というだけで、実際当時はあんまり活力もなく、ひたすらゴロゴロしていた時間も多かったかもしれません。

というか、何もやりたいことがないなら、それはそれでオーケーだと思います。だってお休みですもん。

ただ人間「消費だけ」していくと心がしぼんでいくもの。今自分が消費しているものを創る方に考えて、行動を始めてみるのもアリかもしれません。

 

例.

YouTubeたくさん見てる⇒動画編集勉強してみる

・料理・お菓子たくさん食べる⇒作ってみる

・ゲームやってる⇒作り方勉強してみる

Twitterで神絵師あさってる⇒書いてみちゃう!?

などなど

 

時間はたっぷりあります。1日1つで良いので何か行動をしてみることをお勧めします。

 

 

復職までの流れ

そんなこんなで半年ほど休んだ時、「休職期間があと2ヶ月で一度満了することになる」と人事から連絡がありました。そのことを主治医に話すと「体調自体はかなり良くなっている。生活リズムをしっかりして復職を目指してみて、その過程で戻るにせよ辞めるにせよ、気持ちが固まればよいのでは」との提案を受け、復職許可の診断書をいただきました。

また産業医からも、復職に当たって生活リズムを観るために「生活記録表」を付けてほしいと言われました。これが結構しんどい。自分にとっては満足度が高くとも、客観的に見てそこまで価値的な時間の使い方はしていません*9から、どうしても空白時間が多くなります。どうにか埋めるために活動するなり、たまに適当に書いたり*10してどうにかしました。

 

生活記録が認められ後、部署の上長と産業医を含めた復職面談がありました。これはメンタル的にハードルが高かったです。半年以上休職をして、久しぶりに上長と話す訳ですから、正直怖かったです。しかしながら、向こうもうまく距離を取ってくれ話しやすくしてくれました。その点良い上長だったなと思いました。

また新型コロナウイルスの流行もあり、基本的な業務はリモートで行うと聞かされていたので、その点も戻る分には気軽になりました。

その面談の最後に、いつから復職をするかの確認で、その一週間後が出勤日に決まりました。常識が無かったので仕方がないですが、心の中では「早くね!!??」とかなりびっくりしていたのを覚えています。

 

そんなこんなあって悠々自適な休職期間を終え、復職することになります。

 

もう一度休職、そして退職

ここからの内容は休職の過ごし方、という内容以上になってしまうので、別の記事として残します。

何が起きたかを要約すると、

 

・復職したら部署が変わってて、業務内容から出勤必須になりリモートで働けなくなった。

・何とか仕事はできていたが、やりがいや情熱というものは一切持てなかった。

・いろいろあって再度休職する

・満了近くなり復職について主治医から以前と同じ提案を受けるが、断る

・退職する(退職日が自分の誕生日だった)

 

となります。

これまでの人生で一番劇的な誕生日を迎えました*11。同時に退職も退職で手続等が割と厄介でした。ご覚悟ください。

 

これから

子供たちにScratchやUnityなどを教える会社でアルバイト入社をすることが決まっています。趣味高じてアルバイトといえど、Unityが職になりました。人生、何が起こるか分かりませんね。

休職中の方やこれから休職を検討している方、様々いらっしゃって色んな決断を下されると思います。今いる場所で頑張るもよし、思い切ってチェンジするもよし、合理的に判断するもよし、感情的に動くのもよし、とりあえず休んじゃうもよし。そのどれもを肯定したいですし、大事なのは今この瞬間であって、且つ今から伸びるベクトル*12だと思っています。

しかし辛くなる位に世界が色あせて見えるのであれば、そんな状態は絶対に良くないと思います。世界は知るほど面白いですし、楽しいはずです。自分はまだそんな世界の一部しか知らないですし、その一部に絶望しているだけかもしれない。できるだけ外に内にとにかくオープンでいたい。

まだ私も人生の若造なのでそんな時どうすれば良いのか答えは持っていませんが、一つの例として自分の休職のことを書かせていただきました。

「割と楽しかった」私の休職の話が、誰かの参考になれば幸いです。

 

かなりの長文となりましたが、読んでいただきありがとうございました。

*1:会社は看板で選ぶものではないですね。ネームバリューの欲しい人も、「自分はそこで何をするのか」を前提に、できる限り具体的にして、且つ十分に確認をして会社を選ぶべきかなと思います。

*2:スマブラSPのウメブラという大会です。この決勝を生で見られてよかった。https://www.youtube.com/watch?v=Aci0dvRzXyU&t=738s

*3:診断名は「適応障害」でした。自分の場合はかなり軽度だったと思うので、不適切かもしれませんが、今思うとこの病名はとても便利な言葉のように感じます。精神面での症状なので、いい加減な休職理由にもなってしまう。断っておきますがもちろん重症のケースもあると思います。自分の症状の何倍も重い状態を想像するとぞっとします。精神由来の疾患は本当に難しい話です。

*4:大学の同期5人と住んでます

*5:前述しましたが、ルームシェア中で月の生活費がかなり低かったというのが大きいかもです。家賃+光熱費等々で5万以下の生活をしていました。

*6:もちろんゴロゴロ・ぐうたらするのが基本 

*7:オフラインでの活動は何故か自粛していました。「休職」ということに負い目があったのかもしれません

*8:3Dモデリングやアニメーションが作れず、半分挫折しましたが

*9:何度も書きます。ダラダラが基本なので。またゲームのトレーニングモードとか書きにくいし。

*10:ダメですよ

*11:シト新生って感じですね

*12:「どこに向かうのか」と「勢い」って意味です