試行錯誤

仕事や趣味(スマブラ)など

学生時代にやっておけばよかったことは?という質問に対する答えについて考えてみた

自分が学生だった頃、「大人」の方々の話を聞く機会が少なくない回数何度もあった。

それはキャリア学習の一環として卒業生が来てくれることもあったし、あるいは何かしらの来賓が学校にいらして講演をするというものもあった。

そこで質疑応答になった時、かなりの頻度で出る質問がある。それが、

「学生時代にやっておけばよかったことは何ですか?」


この質問が出る度に、頻出すぎて「またそれかよ」と正直思っていた。
この質問にはいくつか派生があり、中でもよくあるのは「○○になるため、××するために、学生時代にやっておけばよかったことは何ですか?」という目的の枕詞を付けるタイプだ。
この目的がその質問を向ける人の話に沿ったものであれば、話をちゃんと聞いていること、興味を持っていることも示すことができる。
例えば、グローバル何タラの講演をした人に対する場合はどうなるか。「グローバル人材になるために、学生時代にやっておけばよかったことは何ですか?」だ!
とても便利な構文である。

しかしながらこの上記に自分の夢を添える場合もあるし、そして何より質問者が本当に興味があって聞きたくて聞いている可能性もある。だから一概にこの質問がつまらない悪い質問だとは言えない。
それでは自分がこの質問に対して飽き始めてしまっていたのは、何故だろうか。
今思うとそれは、だいたい同じ回答をされ、回答に期待していなかったからかもしれない。
それが、「読書」、「勉強(語学を含む)」、「遊び」だ。

読書:今読めよー!
勉強:今頑張れよー!
遊び:将来は遊べないのかよー!

学生の頃の自分はこんな感想をわざわざ来てくれている先輩方に抱いていた。はなはだ図々しく性悪なガキだなと今になって思う。

ただ、働き出した今でも思うが、そりゃ学生の頃とは違うものの、ある種学生の頃の方が部活に勉強に進路に忙しく大変だったことが多かった気がする。
上の回答は、当時の自分にとっては当たり前すぎてとても退屈なものだったと思う。


それでは、自分が答えるとなった場合は何と答えるのが良いのか。
ここまで性悪なことを書き連ねた手前、自分が何も考えないわけにはいかない気がするし、また退屈な回答をしては昔の自分に怒られる気がするので慎重に考えていきたい。

まず学生時代にやるべきことという質問だが、その動機はおそらく「今できなくて学生の時にやっておけば今がより良くなっていたのではないか」と思う何かを聞きたいということになる。
なので、勉強や読書はそれはいつだってやった方が良いものなので、除外するべきかと思う。当然、努力や挑戦も同じ。本当に大事なものだが、大事すぎるし大きすぎる。
今(若いかどうかさておき)学生である人たちに特別推奨するべきこと、それが回答になると思う。

そもそも、「やった方が良い」「やるべき」「やらなきゃ」といった義務感にも焦りにも似た気持ちは、人間として生きていく上でずっと付き合っていくものだと思う。

そして「あぁ、この時、そこで、こうすればよかった」という反省もひっきりなしに生まれる。
ピアノとか練習して音楽とかできた方が人生楽しそうだったのにと思ったこともあるがしっくりこない。何せ当時の自分はやらなかったし、今もやっていないのだから。
部活動や人間関係も、もっとこうすれば良かったんじゃないかという反省点は、今振り返ればたくさんある。しかし当時はそれ以上は望めないくらいに必死にやっていた。だから過去の自分にそれを言うのは少し残酷な気がする。

そう言えば昔の自分が何を考え、何に悩んでいたのか、正直はっきりとは思い出せない。ただ、たくさんあった感動や苦悩はためになったんじゃないかなとぼんやりと感じる。

ここまで考えて、学生時代にやっておけばよかったことを素直に答えると、

日記と写真

になるかもしれないと思った。
時間が経つといろんなことを忘れてしまうので、その防止策に。

SNSとは違い、誰かに見せることを目的とするのではなく、自分自身を見つめて、日々の感動や悩みを言葉に起こす日記。
同じようにこの瞬間の風景を、心情と一緒に焼き付けるように残しておく写真。
これらは残っていると、自分にとってかけがえのない財産になる。

自分を見つめて、モノとして残す時間は思春期にこそ(もちろんおじいちゃんおばあちゃんになっても)必要だと感じる。
またその記録は自分の思い出や人生の軌跡をちゃんと残して、将来振り返れる。

そして何より将来この質問をされた時に、自分の思春期をしっかりと振り返って「日記と写真」よりもっと良い回答ができるようになると思う。